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『ヴァイブレータ』 廣木隆一(監督) /

赤坂真理と中上健次と寺島しのぶと市川染五郎と大森南朋。

30歳になった途端にふられ、相手が別の女と結婚してしまう。これ、かなりキツそうな事件だ。寺島しのぶの場合、その相手は市川染五郎だった。らしい。

だが、失恋をバネにして…という古風な言い回しが似合うのも、梨園に生まれ育ち、前向きなパワーを持つ彼女ならでは。初エッセイ「体内時計」を読み、初主演映画「赤目四十八瀧心中未遂」と2作目の「ヴァイブレータ」を見てそう思った。尾上菊五郎と富司純子の娘として市川染五郎と結婚してしまったら、これらの仕事は、ありえなかっただろう。

車谷長吉原作の「赤目四十八瀧心中未遂」(荒戸源次郎監督)は、舞台女優である寺島しのぶの本領発揮といった感じ。5年前に原作を読んだ彼女は「映画化されたら綾ちゃんの役をやりたい」と著者に手紙を書いたほどの思い入れに加え、「娘がこんな作品に出たら自殺します!」と反対した母親に対し「やらせてくれなかったら自殺する!」とまで言ったそう。

一方「ヴァイブレータ」の寺島しのぶは、完全な「受身の色気」。広尾のcoredoで飲んでいたところ、脚本の荒井晴彦に「スカウト」されたのだという。失恋の傷跡が癒えぬうちに、そういう見初められ方をしたのだとしたら、赤坂真理原作のこのロードムービーが「いいもの」にならないはずがない。構築された演劇空間から偶然性を映し出すロードムービーへと舞い降りた彼女は、東京のコンビニに降る雪、4トントラックのアイドリング、車高の高い運転席の浮遊感、旅情をかきたてる新潟の風景等をバックに、素顔やきれいな顔やうれしそうな顔やこわれそうな顔を、ごく自然に披露してしまった。

笑ったり泣いたり取り乱したり質問ぜめにしたり…こんな面倒な女を受け止める男(大森南朋)って、すごい。もちろんそれは愛などではなく、桃を優しくむき、やわらかいものは大切に扱うといった天性のフィジカルな優しさだ。そんな男のことを、いちいち微妙に傷ついたり吐いたりしながらも、女はちゃんと見極めている。彼は名前を呼んでくれたか?自分を尊重してくれているか?別れた後も気にかけてくれるのか?
触ってほしい女もいれば、触ってほしくない女もいる。触ってほしい女にも、触ってほしくない時がある。そういうことを本能的にわかっているのが、フィジカルないい男だ。

脚本の荒井晴彦は、「赫い髪の女」(1979)というにっかつ映画の脚本を書いた人。原作は中上健次の「赫髪」で、拾ってきた女を食べる、というような「ヴァイブレータ」とよく似た小説だ。
ただし、フィジカルな優しさを積み重ねても愛にはならないし、ゆきずりのセックスに未来はないわけだから、フィジカルに優しい女はいい!ということだけを描いた「赫髪」は理解できても、「自分が、いいものになった気がした」という「ヴァイブレータ」には共感できなかった。ゆきずりのセックスで、どうして「いいもの」になれるわけ?

映画版「ヴァイブレータ」は、原作にない食堂での会話シーンが加わったおかげで、すんなりと理解できた。このシーンは、もはや愛だ。会話の内容が嘘だったとしても、愛に基づいた配慮に貫かれている。
原作のひりひりするような痛みは薄らいでしまったけれど、女の痛みを軽減させた分、大森南朋という俳優は「いい男」に格上げされたと思う。「ヴァイブレータ」は、ゆきずりのセックスどころか、恋愛のいちばんいい部分を凝縮した作品になってしまったのだ。なのに2人は、どうして別れてしまうの?私だったら別れない。
市川染五郎ファンなのに、大森南朋に傾いてしまいそうです。

*2003年/上映中

2003-12-24

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『文学2001』 多和田葉子ほか / 講談社

21人の作家を比べ読み。

日本文藝家協会が編んだ21の短編集。この手のアンソロジーは、ふだん手に取らないような作家の作品が、ついでに読めてしまうのが楽しい。

石原慎太郎、佐伯一麦、高井有一、多和田葉子、津島佑子、三浦哲郎、吉村昭、田久保英夫、大道珠貴、ピスケン、赤坂真理、古山高麗雄、佐藤洋二郎、堀江敏幸、森内敏雄、川上弘美、林京子、夫馬基彦、司修、岩橋邦江、日野啓三というラインナップ。2000年の文芸誌に掲載された「名人芸」が一作ずつ披露される。

家族の話が多いが、ワンパターンというわけでもない。幽霊、舅、死んだ妻、死んだ子供、死んだ父、戦死した夫、苦悩する母、死んだ友人、原爆、ウーマンリブ、病気の恋人、冷たい母・・・大雑把にいえば、こんなテーマやアイテムが並び、いずれの作品においても、人生における静かな葛藤や憂鬱や喜びが独自の視点からあざやかに切り取られている。 短編小説のネタというのは永遠に尽きないのだろうと信じられるほどに。

ただ、年配の作家によって語られる家族の話の多くは、見知らぬ親戚が集まる盆暮れのような独特の匂いに満ちており、まとめて読むと、すこし保守的な気分になってくる。
(純文学を読んで保守的になる? そんな馬鹿な!)

ベスト3を選んでみた。 小説としての面白さや完成度の高さとはほとんど関係なく、強いて言うなら「すごく気になる部分があったベスト3」。 私は結局のところ、小説に驚きや意外性のみを求めているのだ。

<3位> 日野啓三「『ふたつの千年紀(ミレニアム)の狭間(はざま)で』落葉」
病人の話なのに明るく、しかもそれが、ごく普通のテンションであることが面白い。老境の身軽さとでもいうべきものなのか? クモ膜下出血で病院に行く夫を「笑って」見送る妻。そして、この小説のキモとなる医師。病気の憂鬱さや現代医療が抱える問題点とはまったく無縁の会話が、奇妙に素敵。
タイトルの仰々しさと、ミレニアムを考察した導入&結末は不要だと思う。たった3ページの作品だが、それでも説明的で長すぎる。

<2位> 田久保英夫「白蝋」
「隼人はまた、洗剤入りのコーヒーを飲まされた」という書き出し。女は、男を帰したくないがために、このような行為をしでかす。 こんな女の話は読みたくないし、男もバカなんじゃないの?とうんざりしたが、後半、私は、この女の魅力を生理的に理解できてしまうのである。彼がなぜ、彼女に惹かれているのかということを。
全体のトーンはやや紋切り型であるにもかかわらず、実験的な香りのする作品。

<1位> 多和田葉子「ころびねこ」
軽やかで芯のない会話から浮かびあがるホモセクシャルのナイーブさ。 言葉からの発想はこの作家の真骨頂だが、ジェンダーの曖昧さを浮き彫りにした、小説ならではのテクニックは素晴らしい。数人の会話によって成り立っている小説だが、各々の性別が不明であることに読み終わってから気付く。「僕」「あたし」「おまえ」などの文字面は、何の手がかりにもならないのである。
多和田葉子の小説は、私たちを、保守的な気分とは対極の場所に連れ出してくれる。

100%のホモセクシャルや100%のヘテロセクシャルというのは、どこか嘘っぽい。現実には、多くの人々が、性別の不確定さに揺らいでいるのではないだろうか。規範から自由になればなるほど、家族以前のあやふやな人間関係が、面白くなってくる。

2001-08-07

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『彼女たちは小説を書く』 後藤繁雄 / メタローグ

複数の女性とつきあう男。

8人の女性作家(柳美里吉本ばなな赤坂真理川上弘美山田詠美中上紀江國香織松浦理英子)へのインタビュー集。彼女たちの共通点は、たぶん「恋愛体質の女」であること。純文学とエンターテインメントの垣根をあっさり越え、「僕の独断と偶然」により、好きな小説の書き手をセレクトしたというハッピーな本である。「好きな小説の書き手」というのは、「好きな人」にとても近いように思える。

ラブレター(インタビューノート)からも、デート(実際のインタビュー)からも、後藤繁雄の個人的な思い入れが伝わってくる。彼女たちへの言葉は、一人ひとり書き分けられ、会話のトーンや距離感も微妙に異なる。尊敬する彼女、興味津々の彼女、思わず見とれてしまう彼女、タメグチモードの彼女・・・・・読み進むうちに、常時複数の愛人をもつ(ことを喜びとしている)友人を思い出した。作家であるその友人は、彼女たちに同じセリフを言わない(同じ誉め方をしない、同じ口説き方をしない)ことを自分に課している。確かにそれは、相手に対する最低限の誠実さであり、表現者としての美意識が支える控えめなプライドといえるだろう。

個々のインタビューは中途半端に長くゆるい印象で、短ければ当然省かれるような無意味でぎこちないやりとりや、どうでもいいような「その場の気分」が流れ出している。だが、この本においては、そういった部分こそが本質かもしれない。 「後藤繁雄はたくさんインタビューしてるくせに、ちっともインタビューがうまくならない。から、心配になってたくさん話してしまう」という坂本龍一のコメントを赤坂真理が紹介しているが、言い得て妙。本書を読む限りでは、彼は、まるで不器用な少年のような印象なのだ。「だって、ずっとどもりで20歳ぐらいまで人と喋れなくて、その後の人生おまけみたいなもんなんだもん」というようなインタビュアーらしからぬ受け答えを読んでいると、彼女たちの小説の書かれ方うんぬんよりも、彼自身の人生のほうに、つい興味をそそられてしまうのである。

私も、仕事でインタビューをする機会がしばしばあるが、思い入れを強く抱いている相手ほど、うまくいかないことが多い。あるいは「満足できない」。だいたい、本気で相手を知ろうとしたら、1度のインタビューなんかで完結するはずがないわけで。そして、この本には、そういったもやもやした思いがあふれている。後藤繁雄は本当に、自分の好きな人にだけインタビューしているのかもしれないなと思う。おまけみたいな人生を、永遠の少年のように楽しんでいるのだろうか。40代半ばの男性で、これほどフレキシブルな感受性をもっている人って珍しい。

彼は、この本のイントロを「これからも一生、僕はあなたたちの愛読者であることを誓います」と結んでいる。別に誓う必要なんてないのに! つまんないと思ったら、いつでも読むのをやめるというのが本当の愛じゃないの?「あなたたち」という十把一からげな言い方も失礼である・・・・・でも、そんな不器用さが好印象につながっているのも事実。8人の女性と完璧に、失礼のないようにつきあい分けている男がいたとしたら、それって、ちっとも可愛くないだろうしね。

後藤繁雄は、実のところ誰がいちばん好きなのか? いくら同じ言葉を使っていないからといったって、やっぱり、何人も並行して口説いている男を見ていると、私はどうにも落ち着かない。

2001-05-12

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