『アメリカ―非道の大陸』 多和田葉子 / 青土社

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初めてアメリカと出会う人のように、旅ができたら。

あふれる情熱がほとばしってしまうくらい好きなことは、仕事にすべきだと思う。
好きなことは仕事にしたくない、お金にしたくないという考えもあるが、情熱のレベルが強すぎる場合は、とばっちりを他人にふりかけてしまい迷惑をかけることになる。はけぐちになった人に「私にそれを向けないで、それを仕事にしたらいいのに」と思われてしまう。仕事というのは、美しいはけ口であり口実なのだ。

ほとばしる情熱を仕事にすれば、それはお金になり、批判にさらされ、打ちのめされ、削られ、乾かされ、磨かれる。そのとき初めて、あふれる情熱がほとばしってしまうくらい好きなことはソリッドな輝きを放つのだ。
というようなことを、多和田葉子の文を読むと感じる。さまざまな国で彼女は自作を朗読している。戦慄のライブだ。彼女が放つ言葉は、特別なモードで共有され、記憶される。

ドイツに住みドイツ語と日本語で小説を書いている彼女が、アメリカに目を向けはじめた。妄想と現実が入り混じる旅ほど、孤独をリアルに映す鏡はない。個人的な妄想の入りこまない現実なんてないのだから、そこを正直にすくい取る彼女の旅は、面白すぎる。でも、そう感じるということは、つまらない別の旅があるってこと。それは不自由な旅、何も感じてはいけない旅、目の前の現実とは一見無関係な妄想を抱いてはいけない旅のことだ。

初めて海外に行ったときのことを思い出した。私が選んだのは西海岸だった。初めて乗った飛行機。初めて見た道路。初めて見たビーチ。初めて食べたビーフボウル。初めて話しかけられたビバリーヒルズ。そのときのアメリカが私のアメリカのはずなのに、記憶からは消えかけている。そのひとつひとつの感覚を「アメリカ-非道の大陸」は呼び覚ましてくれる。
初めての感覚を、人は、どこまで保つことができるのだろう?

2006-12-18

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