『ほとりの朔子』 深田晃司(監督)

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原発から逃げない人々。

「ほとりの朔子」は日本のバカンス映画だ。バカンスとは、夏の数週間を何人かの人とともに無計画にだらだら過ごす退屈な日々のこと。小さな非日常を繰り返す中で、無意味に笑ったり、ケンカしたり、誰かを好きになったり、失望したりしながら、最後にはうんざりして終わること。だけど帰り際には、泣きたくなること。疲れ果てて帰った場所は、もとの場所とは違って見えること。

大学受験に失敗した朔子(二階堂ふみ)の中途半端な心情は、プチ逃避としての2週間のバカンスにはうってつけだ。朔子が水に入った足もとに広がるほとりの波紋や健康的な夏のファッションが、所在なさを引き立てる。美しく知的な叔母、海希江(鶴田真由)のモテぶりも光っている。だが、ジャック・ロジェの「オルエットの方へ」のようなフランス的バカンスの抜け感はなく、海辺の町の閉塞感が色濃く感じられた。それは、退屈な町の濃密な色っぽさと言い換えてもいい。

朔子は、学校に通わず叔父の経営するラブホテルを手伝う孝司(太賀)に出会い、やがて彼が福島からの疎開者であることを知る。原発がテーマではないバカンス映画に「登場人物が何人かいたらサッカー好きが1人はいるでしょう」という感じの自然さで、原発の問題が立ち現れるのだ。朔子が孝司に寄せる気持ちは、同情ではなくモラトリアム同士の共感であり、ほのかな恋心にすぎない。これは、福島の問題がここまで日常に溶け込み、背景のひとつになってしまったという現実なのだ。もはや日本のどこで何を撮ったとしても、福島が何らかの形で、どこかに映ってしまうのかもしれない。

フランス的バカンスの抜け感はないものの、この映画の退屈とときめきの同居は新鮮だ。退屈とときめきは相反するものと思っていたし、恋愛はスピード感であるとも思わされていたけれど、実は退屈こそがときめきと近しいのだ。所在なさや逃避モードの波長が合ったとき、たぶん人は恋に落ちる。効率優先のランチ婚活なんかで恋愛が生まれる確率は低いだろう。

映画とともに現実に帰ると都知事選だ。津田大介さんのメルマガ「メディアの現場」は特別号外を連日発行し、多彩なジャンルの識者の原稿を掲載している。順番も毎回工夫されていておもしろい。合コンを盛り上げる幹事さんのようだ。

1 月29日の「号外その7」は「脱原発を目指す側の人が宇都宮候補を支持すればいいのか、細川候補を支持すればいいのか、またそれを考えるうえで持っておきたいほかの視点は何かということにフォーカスして」コンパイルされた5本の原稿だった。映画と同様、都知事選に原発が映り込むのは必然だと思うけれど、最後の1本はアップリンク主宰の浅井隆さんの原稿だった。つまり都知事選に映画が映り込んでいた!

脱原発派の浅井さんは、フィンランドのオルキト島にある高レベル放射性廃棄物の最終地下処理場(通称オンカロ=隠し場所)を描いたドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」(マイケル・マドセン監督)を、震災前の2010年に買い付けていた。震災後の4月2日、東京で緊急公開されたこの映画は、連日多くの人々で溢れ、TV報道もされ、浅井さんは脱原発へと社会が変わる勢いを感じたという。だが、2011年7月の都知事選は261万票で石原知事が当選、2012年12月の都知事選では433万票で猪瀬知事が当選という結果になり、自分と考えの違う人に共鳴してもらうのは容易ではないことを思い知ったという。

しかし浅井さんは諦めない。昨年、小泉元首相がこの映画のTV版(55分)を見てオンカロを視察し、脱原発へと考えを改めたことを知り、一人でも多くの人に観てもらおうと、YouTubeでの無料配信に踏み切ったのだ。

「僕は、小泉政権時の郵政民営化、規制緩和など新自由主義といわれる大企業のための政策が格差社会を生み出したことは支持していない。だが、脱原発というシングルイシューで選挙を戦う小泉元首相が推すのが細川護煕候補というのなら、脱原発を実現するために細川候補に都知事になってもらいたい」

自分が買った映画を評価した人の志に1票!というのはとても明快だ。きれいごとでもなく、独善的でもなく、その原点は映画という仕事への愛であり信念なのだ。私もそんなふうに誰かを信頼し、投票してみたいなと思う。

「100,000年後の安全」は、安全なレベルに達するまで10万年を要する放射性廃棄物についての映画だ。最終地下処理場であるオンカロは2100年に閉鎖され、半永久的に埋葬されるという。後生の人々が、オンカロを見つけて掘り起こすことだけは避けねばならないが、危険な場所であることを彼らにどうやって伝えるかが虚しく論議される。10万年後の人々は、人ですらないかもしれないのに。

映画は観客を「何らかの理由でオンカロの入り口に来てしまった子孫」に見立て、手紙のように語りかける。10万年後の状況に確信を持とうとすることの無意味さと傲慢さ。退屈もときめきもなく、ばかばかしいほど美しく静謐な映画だ。

2014-1-31

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