いつも一緒にいる人と過ごす。
東京iCDC専門家ボードが作成した「都民の皆様方へのお願い」の中に「いつもと違う年末・年始 5つの約束」というのがある。「いつも一緒にいる人と過ごす」は、その筆頭のお約束ごとだ。
今も毎日のように会社に通勤している人にとって、会社の同僚というのは「いつも一緒にいる人」なのだろう。一緒にランチに行ったり、ときどき飲みに行ったり、いろんなことを話したりするのだろう。いかにもそういう雰囲気の人たちを見かける。2人か3人か4人で男女ミックス。きっと、家族みたいな感じなんだろうなと思う。
だからRくんが、自分が所属するお店の人たちと、そんなふうに仲良くしているという話を聞いたとき、私はつい「お店の人は、家族みたいなものだもんね」と言ってしまったのだが、そうしたらRくんは「いや、家族とは全然ちがう」と即座に否定した。
そりゃそうだよね。「いつも一緒にいる会社の人」と「いつも一緒にいる家族」は、全然ちがうに決まってる。ただ、ふとしたきっかけで「いつも一緒にいる会社の人」と結婚すれば「いつも一緒にいる家族」になるだろうし、一緒に暮らし始めれば「いつも一緒にいる家族みたいな人」になるわけで、その可能性は少なくないのかも?「いつも一緒にいる人」は、他人との距離が求められる時代においては、それだけで特別な存在なのだから。
この映画は「いつも一緒にいる家族みたいな人」についての物語だ。彼がホテルの夜勤から帰ってくると、昼間の仕事をしている彼女は寝ているのだが、彼はそんな彼女のために毎朝「おめざ」をベッドに運ぶ。結婚はしていないが子どもが欲しくて不妊治療を始める2人は、最終的にどうなるのか?
穏やかな彼は、彼女が荒れている日も、こじらせている日も、いつだって精一杯のことをする。彼女にとっては悩みの種でしかない彼女の両親にも限りなく優しく接するし、彼女以上にエキセントリックな彼女の元カレにすら寛大に接するのだ。なんで一体そこまで?と思うが、理由は最後にわかる。彼は、彼女のことが大好きなのである。いや、そんなことは最初から明らかなのだが、恋愛において、出会い方というのは大事だなとつくづく思う。
古典文学を愛する不器用な彼氏を演じているのは、ルカ・マリネッリ。フランス映画ならヴァンサン・マケーニュが演じるような濃密なオタクキャラを、イタリアが誇る希代のイケメン俳優が演じているのだ。その愛おしい崩れぶりは、世界じゅうの女性たちを骨抜きにするだろう。
いつも一緒にいる2人は、すみずみまでわかりあう必要なんてない。いつも一緒にいられれば、来る日も来る日も幸せなのではないだろうか。彼にとっては「いつも一緒にいる人が幸せそうであること」が最大の幸せであり、彼女にとっては「いつも一緒にいる人が幸せそうな私を見て幸せそうであること」が最大の幸せなのである。
2020-12-29
amazon(パオロ・ヴィルズィ監督の前作)