「根津美術館」の検索結果

2023年展覧会ベスト10

●ソール・ライターの原点 ニューヨークの色(ヒカリエホール ホールA)

●マリー・クワント展(Bunkamuraザ・ミュージアム)

●クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ(東京都現代美術館)

●フィオナ・タン「Suri(スリ)」(ワコウ・ワークス・オブ・アート)

●フランソワ・プロスト「Gentlemen’s Club」(アニエスベー ギャラリー ブティック)

●深瀬昌久 レトロスペクティブ(東京都写真美術館)

●公文健太郎「地の肖像」(コミュニケーションギャラリー ふげん社)

●平間至展 写真のうた-PHOTO SONGS-(ヒカリエホール ホールB)

●インターフェアレンス(銀座メゾンエルメス フォーラム)

●国宝・燕子花図屏風 光琳の生きた時代1658-1716(根津美術館)

2022-12-30

『アミービック』 金原ひとみ / 集英社

六本木ヒルズは醜悪か?

仕事場に向かう路地の正面に、派手なビルが見える。その形は意外と知られていないようで、「あれは何?」とこの2年間、何度も聞かれた。「六本木ヒルズの森タワー」と答えると、その後の反応は2通りだ。
a「そうなんだ!」(やや肯定的)
b「そうなのー」(やや否定的)

根津美術館から見えるその建物を「醜悪だ」と評する人もいる。芝浦で仕事をしているクレバーな幼なじみに「六本木ヒルズってどう思う?」と聞いてみたら「ごめん、行ったことない」とあっさり言われてしまった。「六本木ヒルズだけじゃなくて、汐留も丸の内もお台場も…」と。私だって仕事上の必要がなければ行かないかもしれないな。私はたまたまドメスティックな仕事をしており、彼女はグローバルな仕事をしている。その違いだ。

六本木ヒルズという場所にリアリティを与えてくれた、金原ひとみのアミービックな感覚には、そんなわけで、とても共感する。

「さっきタクシーを降りた時に目に入り、気になっていたコートを、やっぱりもう一度ちゃんと見てみようと思いながらヴィトンに向かった。黒いベルベットのコートを羽織り、腰元のベルトを締めると、それはぴちりと私の体にフィットした。じゃあこれを。何故だろう。何故買ってしまったのだろう。これで、今年に入って六枚目だ」

無感動にお金を落とせる場所。それが、六本木ヒルズの美しい定義かもしれない。「アミービック」は「私」が六本木ヒルズに足を向けてしまう理由をめぐる物語だ。「パティシエ」という言葉が冗談のように連発され、私たちを暴力的に取り巻く「おいしいお菓子」にまつわる定義を一蹴してくれる。「幸せな女はお菓子をつくる」というのはウソだし、「愛をこめてつくるお菓子はおいしい」というのもウソだし、「女はお菓子が好き」というのも大ウソなのだ。

「どうして私は始めてのお菓子作りでこんなにも完璧な代物を作り上げる事が出来るのだろう。何故私には出来ない事がないのだろう。何故私は嫌いな物に関しても天才なのだろう。もしかしたら私に出来ない事などないのではないだろうか。しかしそれにしても全く見ていると吐き気がする。全く、こんなもの世界上に存在すべきではない」

美しさとは、過激である。飲み物と漬け物とサプリメントで生きる「私」は、過激に美しい。それは、気にくわないものを徹底的に拒否する、過剰な全能感によって達成される。言い換えれば、ストレスをまともに感じることすらできず、不都合なことはすべて記憶から無意識に抹消されるほどの病的さだ。

こんなにも不健康で美しくてパーフェクトな女が、どこから生まれるのかといえば、無神経に二股かけるような冴えない普通の男から生まれる。女の過激さは、男の鈍感さの産物であり、女は鈍感な男とつきあうだけで、どんどん美しくなれたりするのである。すごい真理。すごい集中力。ありえない勘違い!

女がどれほどヤバイ状態になったら、男は気付くのだろうか?

2005-10-03

amazon

『コピーの時代-デュシャンからウォーホル、モリムラへ』 滋賀県立近代美術館 /

ホンモノより、アタラシイモノが見たい。

桜の季節には京都国立近代美術館のカフェへ。
燕子花の季節には根津美術館の庭園へ。
紅葉の季節には足立美術館の茶室へ。
だが、この夏はなんといっても滋賀県立近代美術館である。

というのは屁理屈だが、人はなぜ美術展へ行くのだろう? 本物を見るため? だとしたら、東京から琵琶湖までわざわざコピーアートを見に行くのは馬鹿げている?

マルセル・デュシャンから始まって、アンディ・ウォーホルロイ・リキテンシュタイン、森村泰昌まで、22名と1グループによる137点の作品を6つのゾーンに分け、引用と複製の歴史を振り返り、シミュレーショニズムの最前線に迫る企画展だ。

紙幣をコピーした赤瀬川源平、コンビニのサインボードから文字を消した中村政人、名画の登場人物を1人だけ消したり、ありそうでどこにもない風景を写真のように細密に描く小川信治、登場人物の視点から名画を描き直したり、著作権侵害にならないようにディズニーアニメをコピーした福田美蘭、オリジナルのない映画の登場人物になりきるシンディ・シャーマン…。

福田美蘭の最新作(2004)は、この美術館の所蔵作品(人間国宝による着物と壷)のパロディー。着物をまとった想像の自画像と、壷を収納しておくための木箱や詰めものを描いた作品が「本物」と並べて展示されているのだから面白すぎ。今回、メインの作品と対比するための「本物」のいくつかは、所蔵美術館からのレンタル期限切れで撤去されていたのだが、この美術館の所蔵品ならノープロブレムだ。

デュシャンの作品は、便器を倒して署名しただけの「泉」(1917)をはじめとするレディメイドシリーズや、モナリザの顔にひげを書いただけの「L.H.O.O.Q.」(1919)などたくさんあったが、「オリジナル」ではなく1964年にミラノで複製されたもの。これも、オリジナルと並べて展示したら面白いかも。

1917年、デュシャン自身が委員をやっていたニューヨークのアンデパンダン展で「泉」が出品拒否されたのは有名な話だが、「デュシャンは語る」(ちくま学芸文庫)によると、どうやら無視されたってことらしい。便器は会場の仕切りの外に置かれており、「展覧会の後で、仕切りの後に『泉』を見つけました。それで取戻せたわけです!」なんて本人は語っている。「私はいっぺんで受けいれられるようなものは、何もつくれなかった」とも。

本当に面白いものは、展示会場ではなく、仕切りの後ろにこそあるのだ。それが、美術展に足を運ぶ理由でもある。回顧展を観るだけでなく、オリジナルが生まれる瞬間に立ち会えたらいい。

*9月5日まで開催中

2004-08-12

『プラダ青山東京』 ヘルツォーク&ド・ムーロン / プラダ財団

ショッピングより、建物ウォッチング。

東京の風景は、どんどん変わる。
カフェもレストランもブティックも美術館も、あっという間に消滅してしまう。いつも工事中だ。今度は何ができるんだろう?以前ここには何があったんだっけ?そんなことを考えることすら面倒になってくる。そのうち、多くを期待しないようになった。万が一愛着をもってしまったりしたら、裏切られたときに、悲しすぎるから。

表参道から根津美術館に向かう「みゆき通り」に、6月7日、プラダ青山店がオープンした。この建物は、建設中のときから面白かったし、既に記憶に残る建物となってしまった。周囲の建物に特別な思い入れをもたないようにしている私がそんなふうに思うのだから、世界中の人々がわざわざ見学に来たっておかしくない。
クリスタルのように透明で尖っているから?全体を覆うひし形の格子から中の様子がゆがんで見えるから?単に意表をついた建物だから?ひとついえるのは、ブランドショップにありがちな権威的な匂いが感じられないこと。四角四面な重厚さ、威圧感、閉鎖性の対極にある軽やかさを建物全体で実現してしまった。外壁なしに「インテリアのみ」で成立しているような印象だ。

この店で、今のところ最も売れている商品は、地下1階の写真集コーナーにあるこの本である。
というのは私の勝手な想像だが、設計を担当したスイスの建築事務所、ヘルツォーク&ド・ムーロンによる写真とドローイング集は、実際の建物よりも面白い。「プラダ青山東京」のプロジェクトがどのように進行したのか、その紆余曲折の経緯が赤裸々に書かれており、日本語訳も付いている。

建設予定地を見た彼らはこう思う。
「付近は多種多様な建物が共存していたので、周囲の環境に合うような建物を建てる必要性からわれわれは全く解放された」
「空き地は全くなかった。ありとあらゆる土地が角から角まで利用されていた」
そして、高くてスリムな目立つ建物にしたいと漠然と思う。
「付近の建物のような、ずんぐりとしゃがんだ格好で街にちょこんとすわっている感じのものは建てたくはなかった」・・・

この本には「プラダ青山東京」に関するあらゆるアイディアが詰まっており、当初のピュアな発想の断片が、どのように具現化したのかを見届けることができる。このプロセスこそが建築の面白さであるならば、完成した建物を見ることの面白さはその何分の一でしかない。

建物の中は実践的な売り場であるから、スタッフにとって使い勝手はいいのかなとか、白い壁やじゅうたんの汚れ対策は大変だろうなとか、建物全体にたちこめる独特の匂いが気になったりしてしまうのだ。まあ、それ以前に、商品に目を奪われてしまうわけだけど―

外の広場に出ると、プラダのロゴ入り紙袋を持った私に、フジテレビのクルーが声をかけてきた。プラダフリークを撮影しようという魂胆らしいが、私のお買い物はこの本だけ。しかも、彼らにとって都合の悪いことには、プラダ製品を1点も身につけていない。
どうして私に?と思って周囲を見回すと、紙袋を手に建物から出てくる人は、とっても少ないのであった。

2003-06-17