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『BALI deep展』 阿部和重ほか / 代官山ヒルサイドフォーラム

男の子にとってのバリ。

2005年上期のヒット商品番付が発表された。
東の横綱は「富裕層向けサービス」。西の横綱は「生鮮100円コンビニ」。勝ち組と負け組みに二分されたといわれる時代を立証するかのような結果だ。

西の大関には「ロハス」(LOHAS=Lifestyles Of Health And Sustainability)。「価格や効率ではなく、環境に配慮しつつ、自分の価値観でモノやサービスを選ぶスタイル」というような意味なのだろうが、いま、この言葉が注目される理由は、定義のゆるさに加え、勝ち負けなんてカンケーないじゃんと思っている人の多さと無関係ではないだろう。

気がつけば私も、ロハスなお仕事に囲まれている。アロマ、オーガニック、スローライフ、ヨガ、リラクゼーション・・・そんなキーワードだらけの日々。自らを振り返ってみると、日ごろ真摯な思いで書いているはずの美容法や健康法など、まるで遵守していない生活に笑ってしまうのだが、そういうテキトーなスタイルも、たぶん、ものすごくロハスなのだと思う。ロハスは曖昧。ロハスは寛大。ロハスはエゴ。ストレスフリーで好きなように生きている人は、みんなロハス!

私はときどき、心配になる。こんなにたくさんの情報があって、みんな、大丈夫なんだろうか。押し潰されたりしないだろうか。こういうふうに生きなくちゃ、この美容法をやらなくちゃという脅迫観念にとらわれたりする人はいないだろうか? だけど、ほとんどの女の子は、惑わされたりなんかしていない。ひとつに決めたりもしていない。その都度、好きなものを好きなだけ楽しんでいる。

危ないのは、実は、男の子だ。ナイーブな男の子は、自分の世界を乱されると病気になったり、アイデンティティの危機に陥ったりしてしまうから、惑わされないふりをするしかない。

というわけで、「バリ」が必要なのは、男の子だと思う。女の子はたぶん何だっていいのだが、男の子はバリを愛したら、バリがいいと思い続けるだろう。ひとつの定食屋を見つけたら通い続けるように。あれこれちょっとずつ違うものを食べたいとは思わないように。

「BALI deep展」は、東京で最も美しい場所のひとつで開かれている。まさに、パスポートの要らないバリ。映像と音楽と写真と阿部和重の文章が楽しめて、いい匂いがして、広々としていて、涼しくて、きもちいい。会場の外には、ロハス系セレブから届いた花輪が大量に並んでいて驚くが、旧山手通りを歩き、この展覧会をみて、ヒルサイドカフェでお茶を飲むというのは、悪くない夏のすごし方といえる。しかし! スローなはずのこの企画、なんと、たった6日間だけで終わってしまうのだ。その後はバリに会場を移し、1か月間近く開かれるようだけど。

すぐに終わってしまう「BALI deep展」は女の子のためのものだが、男の子のためには「終わらない箱」がもうすぐ発売される。牢獄の扉を思わせる重厚な箱の中に、BALI deep展がすべてつまって、約3万円。ナイーブな男の子感をもりあげるのは、もちろん阿部和重の文章だ。

「バリの時間を操作し、旅行者たちを安らかな夢へと導いてくれるのは、宿の屋根裏に棲む、一匹の巨大なヤモリである。この、『BaliDeep』という一つの入口もまた、ベッドの天蓋を這い歩く、巨大ヤモリのごとくさりげなく、快い睡夢の深みへとあなたを忽ち引きずり込むだろう」

*6.26まで代官山ヒルサイドフォーラムで開催中
*7.4~7.31 BALI Puri Lukisan Museum in UBUD

2005-06-24

『グランド・フィナーレ』 阿部和重 / 講談社

世界を救うかもしれないメルヘン。

芥川賞の選評を読んだら「小説としての怖さがどこにもない」と石原慎太郎。「作品にリアルな怖さがない」「肝心な部分が書かれていない中途半端な小説」と村上龍
だが、この小説はそもそも怖いモチーフを扱ったものなのだろうか?

普通に生きているのに、いつのまにか、ぎりぎりの場所を歩かされてしまっている。そういう主観と客観のずれを描いた小説だと思う。主人公は自分のことを正常と開き直っているわけでもなく、異常という劣等感にさいなまされているわけでもなく、特別な優越感を抱いているわけでもない。非常にまともな感覚をもっている印象だ。ナルシシズムとは無縁の知的なイノセンスは、それだけで読むに値する。次第に明らかになる主人公のプロフィールを、友達になっていく気分で読み進めることができるのだ。

実際、主人公の友だちは皆すばらしい。冷たくも温かくもなく、そのまんまだ。思ったことはズケズケ言うが、裁かない。感動的なことを言わないし、彼を本質的に助けたりもしない。普通に鈍感で、普通に信用できる。あんまり頼りにならないけど安心できる。これこそが友だちってものの理想的な距離感かも。こんな友達がいるだけで、主人公はきっと大丈夫なはずなのだ。

ロリコンという言葉は、主人公を説明するための後付けのタームにすぎない。この小説はとても親切な構造になっていて、主観的な描写のあとで、必ず客観的な説明がなされるのだ。カメラで世の中を趣味的に切り取っていた主人公は、ふとしたきっかけから脚本・演出によって世の中を動かし始めるのだが、そのことは、こんなふうに説明される。

「カメラを手にしなくなったわたしは、言葉のみを使いこなして現実に介入しなくてはならない難儀な場所へと辿り着いてしまった。果たしてわたしはこの難関を、乗り切ることが出来るのだろうか」

犯罪的行為の受け取られ方というのは、千差万別だと思う。世間は騒ぐかもしれないが、友達は聞き流すだけかもしれない。親友であれば同情するかもしれないし、後輩なら武勇伝ととらえるかもしれない。妻にしてみれば耐え難い苦痛かもしれないし、当事者である幼い娘は傷ついて死ぬかもしれない。

ロリコンとは子供を愛することの対極ではなく、延長なのだというのが、この小説の重要なメッセージだ。ロリコン的嗜好は子供を傷つけることもあるだろうが、子供を救う可能性もあるのだということ。世界のある部分とディープに関わってしまうマニアックな人がどう生きていけばいいかのヒントを与えてくれる。

以前、クライアントであるIT関連の会社社長が、一心不乱にパソコンに向かう社員の一部を指さして私にこう言った。「こいつらには社会性はないんだけどね。役に立つから飼ってるんだよ」。

パソコンマニアの一部がハッカーになり、印刷技術の進歩が偽札づくりを助長し、クローン技術の追求が生命のモラルをおびやかし、学校の先生が子供を愛することの延長にも犯罪がある。すべてのプロフェッショナリズムは、違法な行為につながる可能性を秘めているのかもしれない。

主人公は故郷に帰り、2人の少女と出会う。
「二人そろって頷いてみせた―その肯定の身振りの力強さが、わたしをますます脱力させて、仄かにときめかせた」

脱力し、仄かにときめく。なんと小さな手がかりだろう。世界とつながるための、あまりに弱々しすぎるモチベーション。でも、この繊細な手がかりが重要なのだ。このメルヘンこそが、世界を救うグランド・フィナーレの鍵になるかもしれないのだ。

強さのみを志向する人には、世の中を救えない時代になった。

2005-03-11

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「早稲田文学増刊『女性号』」責任編集  川上未映子

「未映子さん、ありがとう。」

故人や海外作家を含む82名の女性が参加した556ページ。小説だけじゃない。エッセイあり、論考あり、対談あり、アート作品あり。詩、短歌、俳句の多さも特筆すべきだ。

いまどき、ありえない大きさと分厚さがいい。電車の中で読むにはふさわしくないけれど、そばに置いて、少しずつぱらぱら読んでみたくなるオブジェのような魅力を備えている。

なぜ女性ばかりを集めた?という意味も含めて面白い。「フェミニズム」という言葉に魅力を感じる人も、嫌悪感を覚える人も、「女性」という言葉に抵抗がなければOK。これはエポックメーキングな素晴らしい本だ。

11月26日、刊行記念シンポジウムが早稲田大学戸山キャンパスで行われた。
●穂村弘+川上未映子「詩と幻視~ワンダーは捏造可能か」
●桐野夏生+松浦理英子(司会:市川真人)「孤独感/疎外感 と 書くこと」
●市川真人+紅野謙介+河野真太郎+斎藤環「女性とその文学について男性として向き合うことの困難と必然」
上野千鶴子+柴田英里(司会:川上未映子)「フェミニズムと『表現の自由』をめぐって」

呼ばれた理由の違いからくるのであろう言説の違いが色濃く見えて興味深かった。
●穂村弘さんによる「女性号」収録短歌の解説は感動レベルだった。
●桐野夏生さんと松浦理英子さんの多作ディストピアVS寡作ユートピア対談は「女性号」に収録されるべきものだったかもしれない。
●男性4人の対談には違和感があり、「男性号」を編んでもつまらないであろうことを想像させた。「女性号」を語るのに男性のみというのはどうなのか?川上未映子さんが入るべきだったのでは? しかし、紅野謙介さんは空気を読むのが上手な方のようで、「女性号」の誕生を祝福する場であるという役割を理解し、全うされていた。モテるおじさまというのは、こういう人のことだ。
●1984年生まれの柴田英里さんが、1948年生まれの上野千鶴子さんに食ってかかっていたのには本当に驚いた。アーティストならではの大胆不敵な勇気といえよう。上野さんは、それを完璧に受け止め、観客が求めている回答を短時間に美しく落ち着いた声ですべて言い切るという離れ業をしなやかに完遂。毒舌からの教示と励まし、そして、川上未映子さんへのラストの祝辞は、関係者を泣かせたほどだ。

というわけで、川上未映子さんをリスペクトするとともに、紅野謙介さんと上野千鶴子さんのマナーとふるまいに感激したシンポジウムだった。川上未映子さんに同行していた夫の阿部和重さんのふるまいも素敵で、特別な一日になった。

2017-11-26

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