「エルメス」の検索結果

2023年展覧会ベスト10

●ソール・ライターの原点 ニューヨークの色(ヒカリエホール ホールA)

●マリー・クワント展(Bunkamuraザ・ミュージアム)

●クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ(東京都現代美術館)

●フィオナ・タン「Suri(スリ)」(ワコウ・ワークス・オブ・アート)

●フランソワ・プロスト「Gentlemen’s Club」(アニエスベー ギャラリー ブティック)

●深瀬昌久 レトロスペクティブ(東京都写真美術館)

●公文健太郎「地の肖像」(コミュニケーションギャラリー ふげん社)

●平間至展 写真のうた-PHOTO SONGS-(ヒカリエホール ホールB)

●インターフェアレンス(銀座メゾンエルメス フォーラム)

●国宝・燕子花図屏風 光琳の生きた時代1658-1716(根津美術館)

2022-12-30

『テストトーン VOL.35』 さまざまなジャンルのアーティスト / 西麻布スーパーデラックス

先端は、無料です。

値上げの話題が多い中、心あるブランドは、無料の価値を知っている。

銀座メゾンエルメス10階のル・ステュディオでは、毎週土曜日に映画が上映され、予約さえすれば無料で見ることができる。現在の上映作品はロッセリーニの「インディア」(1959)で、イタリア語ではなくフランス語バージョンというのが残念だけど、お洒落して行く価値のあるプライベートシアターだ。

シャネルの「モバイルアート展」は、香港、東京が終わり、今後はNY、ロンドン、モスクワ、パリへとパビリオン(byザハ ハディド)が移動するが、シャネルバッグをテーマに20組のアーティスト(ブルー ノージズ、ダニエル ビュレン、デヴィット レヴィンソール、ファブリス イベール、レアンドロ エルリッヒ、イ ブル、ロリス チェッキーニ、マイケル リン、荒木経惟、ピエール&ジル、ソフィ カル、田尾創樹、スティーブン ショア、スボード グプタ、シルヴィ フルーリ、束芋、ヴィム デルヴォワイエ、楊 福東、オノ ヨーコ、Y.Z.カミ)が構築したインスタレーションツアーもまた無料。各自がヘッドフォンとMP3プレーヤーを装着し、ナレーションの指示と音楽に身を任せながら回遊するサウンドウォーク(byステファン クラスニャンスキ)は快適だけど、日本語のナレーションはやや鬱陶しかった。ただし、フランス語か英語を選べばジャンヌ・モローの声だったんだって! 彼女が終始耳もとでナビしてくれるのであれば、シャネルのバッグ1個くらい買ってもいい。

7月8日、西麻布のスーパーデラックスで「test tone vol.35―Festival of Alternate Tunings」というイベントが開かれた。これもまた無料。エルメスやシャネルのような予約も不要。ノーチケットで気まぐれに行けるライブっていい。飲み物は好きなだけ買えるわけだし。さまざまなアーティストが演奏する中、私はすごいバンドを見てしまった。いや、バンドじゃなくて、一夜限りのコラボレーション。

●山本達久 ・・・ノイズドラム
●L?K?O ・・・ターンテーブル
●大谷能生 ・・・サックス
●Cal Lyall ・・・ギター
●onnacodomo ・・・VJ

漢字と英語と記号とローマ字が混在する字面からして、全然バンドじゃないし、まとまってない。さて、この中で外国人は誰でしょう? 女性は誰でしょう? 電気系の楽器はいくつ? ドラムだけ「ノイズ」をつけてしまったけど、ほかのパートにも形容詞をつけたほうがいいかもしれない。音楽の最前線は、言葉が定まってなくて刺激的だ。

セッションは即興的だが緻密であり、調和していないが引きこもってもいなかった。楽器としてのパワーを感じるターンテーブルには新しい時代を確信したし、ドラムの爆発ぶりにもぶっとんだ。繊細にして大胆不敵なサックスは、アナログという言葉の語源が「自由」であることを思い出させた。と、思わずでたらめを書いてしまいたくなるほどだが、これらの音に一層ミスマッチなギターが加わり、奇跡的ともいえるキャッチーなノリの中に荒涼としたダイナミズムが生まれていたのである。いろんな素材が料理され、3面の壁いっぱいに映し出されるビジュアルパフォーマンスにもダイレクトなライブ感があり、風景が映るわけでもないのにロードムービーみたいだわと感動しているうちに演奏は終わってしまった。このセッションにはタイトルがなく、二度と聴くこともできない。書いておかないと忘れちゃうじゃん。

旅とロートレアモンの詩とサックスと物理学が荒削りにミックスされたジム・ジャームッシュの処女作「パーマネントバケーション」(1980)が最初に上映されたときも、こんな感じだったのだろうか?

2008-07-13

『VOGUE写真展』 ヴォーグ ニッポン / 日経コンデナスト

企画力は、不況をふきとばす。

かつてブルータスを「広告のとれる雑誌」に生まれ変わらせたカリスマ編集長、斉藤和弘。彼は昨年、VOGUEの日本版「VOGUE NIPPON」を発行する日経コンデナストの社長に抜擢され、編集長を兼任している。

VOGUEは1892年アメリカで創刊され、「VOGUE NIPPON」は1999年、世界で12番目のVOGUEとして日本で創刊された。だが当初は「いつ休刊になるか」と囁かれ続け、活気が出てきたのは斉藤氏が編集長になってから。今では欧米のプレステージブランドの広告が似合う「唯一のコンサバでないモード雑誌」になった。

プレステージブランドは、広告の媒体を選ぶとき、ブランドイメージにそぐわない雑誌を排除する。記事を書きたいといっても撮影商品を貸し出さないし、取材にも応じない。もちろんプレス発表会に招待するはずもない。だから、多くの雑誌では、仕方なく読者や編集部員の私物を撮影する。イメージの上に立脚するブランドは、イメージが壊れたらおしまいなのだから、媒体選びにこそ細心の注意を払わねばならないのだ。

だからといって、ブランドを無条件に礼讃し「広告」と「広告のような記事」しか載せない「コンサバなプレステージ雑誌」なんて、つまらない! その点「VOGUE NIPPON」は、雑誌自体をブランド化することに成功したと思う。つまり、ブランドの広報担当者が積極的に新製品を売り込み、タイアップを申し込みたくなるような斬新な視点をもつ雑誌づくりを、ユニークな企画力で実現した。

今回の写真展は、そのことを証明している。展示の内容は、US VOGUEやUK VOGUEに掲載された1930年代から最近の写真まで50点ほど。銀座に店を構える7ブランド(バーバリー、ブルガリ、カルティエ、ハリー・ウィンストン、エルメスルイ・ヴィトンティファニー)の伝説的な写真である。1つの雑誌が7社を束ね、銀座という街と提携し、こんな写真展をさらっと企画しちゃうなんて面白いし、すごいことだ。

展示会場となったシャネル銀座ビルは、シャネルの日本法人がダイエーから64億円で買い上げたといわれるビルだ。赤い布でおおわれた特設会場には軽快なラウンジ系ミュージックが流れ、ホルスト、バート・スターン、アーサー・エルゴート、エレン・フォン・アンワースセシル・ビートン、シュタイケンなどの写真が年代もブランドもばらばらに並んでいる。まず写真を見て、ワインのブラインドテイスティングみたいに、年代とブランドとカメラマンを想像したりするのも楽しい。とりわけアーヴィング・ペンの古い写真の新しさといったら!

階段を昇るとシャンパーニュまたはソフトドリンクのサービスを受けることができる。ソファでくつろぎ、あるいは階下の展示を見下ろしながら喉をうるおせるのだ。シャンパーニュの銘柄は、モエ・ヘネシー・ルイヴィトングループのモエ・エ・シャンドンで、今月号の誌面にちゃんとタイアップ記事がある。

これは、マスコミ向けの発表会や内輪の展示会ではない。誰でも無料で入れる写真展である。最近、ワインをサービスしてくれるブランド店も多いようだが、この会場では何も売っていない。完全な読者サービスなのだ。

「美術展はキュレーターがアーティストとコラボレートする時代」(by中原祐介)になってきたと聞くけれど、キュレーターとしてのVOGUE NIPPONの手腕は鮮やかで、今後のコラボレーションからも目が離せない。

*シャネル銀座ビル(銀座中央通り・松屋向かい)にて10月27日まで開催
*VOGUE NIPPON 11月号に 15点掲載

2002-10-27

『ウイークエンド』 ジャン=リュック・ゴダール(監督) /

こわされる快感!

新鮮なニュースはインターネットで届くけど、斬新なメッセージは不意に過去からやってくる。
1967年の映画が、2002年の現実にくさびを打ち込む驚き!
ポップでキッチュでおしゃれで笑えるポリティカル・ロードムービー。それが「WEEK-END」だ。

悪夢のような週末は、こんなシーンから動き出す。遺産目当てにオープンカー(ファセル・ベガ)で妻の実家へ向かう夫婦。彼らはアパートの駐車場を出発する際、バックした勢いで後ろのクルマ(ルノー・ドーフィン)にぶつけてしまう。子供が騒ぎ出したため、夫は金を渡してなだめるが、彼は再び騒ぎ出す。かくしてルノーの持ち主である子供の両親が登場し、各自がペンキ、テニスラケットとボール、弓矢、猟銃といった武器を駆使しての乱闘となる。「成り上がり!」「ケチ!」「コミュニスト!」となじりあう2家族。徹底的にふざけたシーンだが、こんな些細なケンカこそが、あらゆる争いの原点なのだ。

延々と続く渋滞。おびただしい死体と事故車。非現実的なシーンの連続は、嘘っぽいけれど嘘じゃない。週末って本来こういうものなんじゃないの? 実はみんな知っている。気付かないふりをしているだけ。

さまざまな困難が夫婦を襲い、実家への道のりは遠い。親を殺すという目標があるから、夫婦は力を合わせて生き延びる。が、本当はそれぞれに愛人がいて、遺産を手にした後は互いに死ねばいいと思っているのだ。クルマが事故った時、妻が絶叫する理由は、大切なエルメスのバッグが燃えてしまったから。このシーン、コメディなんかじゃない。人間って本来こういうものなんじゃないの? 実はみんな知っている。気付かないふりをしているだけ。

妻が男の死体からジーンズを脱がして履こうとすると、夫は「それを脱いで道路に寝転んで足を開け」と言う。ヒッチハイクのためだ。妻が通りすがりの男に乱暴されたときも夫は平然としているのだが、最終的にこの夫婦、どっちが勝つか?ラストシーンは、一見残酷なように見えて、ちっとも残酷じゃない。 弱肉強食って本来こういうことなんじゃないの? 実はみんな知っている。気付かないふりをしているだけ。

屋外で、ピアニストが下手なモーツァルトを弾きながら「深刻な現代音楽」を批判するシーンも印象的。これって、NYの個人映画作家たちへの当てつけだろうか? その代表的存在であるジョナス・メカスは1968年、「メカスの映画日記」の中で、「(ゴダールは)いまだに自由になるための最後のきずなを断ち切っていない」「いまだに、資本主義の映画、親父の映画、悪質な映画と通じ合っている」と断じている(by ミルクマン斉藤氏)。

たしかに「WEEK-END」は「深刻な現代音楽」(個人映画)ではないし「モーツァルト」(ハリウッド映画)でもない。商業映画へのアンチテーゼを同じ土俵で提示した「下手なモーツァルト」であり、モーツァルトの和音に基いた「POPな現代音楽」なのだと思う。

世の中のキレイ事やガチガチの文法を鮮やかに解体するこの映画は、感動や趣味や思想を一方的に押し付けたりしない。ただひたすら、こわすのみ。だから、見終わった後、とても軽くなれる。こんな映画がGWに上映されるなんて面白すぎ。渋滞の中をクルマで出掛けるか?この映画を観るか? 夢のような選択だ。

個人的には、登場人物の一人ジャン=ピエール・レオーのごとく、ホンダS800でエゴイスティックに逃げ切る旅が楽しいと思う。だけど、この映画を観てからお気に入りのクルマを選んでも遅くはない。人生100倍楽しくなることは確実!

*1967年 仏=伊合作 仏映画
*渋谷ユーロスペースで上映中

2002-05-03

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