MOVIE

『父を探して』アレ・アブレウ(監督)

道があって、約束があって、ちょっとの運があれば、また会えます。ー曽田練

昨日乗ったバスの運転手さんは、とびきり感じが良かった。声のトーンだけで乗客を安心させ、安全に導き、幸せな気持ちで包んでくれる、そんな人。終点で最後の一人が降りたあとも、バスの中から好ましい空気がこぼれていることに気付き、思わず振り返ったが、遅かった。一度もその人の顔を見ていなかった。

『父を探して』(英題「The Boy and the World」)は、音と色と質感の映画。ブラジルの監督による手描きのアニメーション作品で、セリフはない。わずかな息づかいや歌うようにささやかれる音が耳に心地よく、意味がとれないおかげで、父探しの旅に出る主人公の小さな男の子のように、誰もが初めての世界と素直に対面できる。するしかない。言葉の通じない国へ行ったとき、ぼーっとして記憶があやふやになったときみたいに。それはまさに夢の世界。その夢が日本製でもアメリカ製でもヨーロッパ製でもなく、ブラジル発のワールドミュージックに彩られたインディペンデントな世界であることが、いっそう現実感を遠ざける。

ふだん見慣れている日本製やアメリカ製のアニメは、主人公が可愛かったり目立っていたり強かったりすることが多く、弱い場合も強い者を打ち負かしたりする。だけどこのアニメの主人公は、ごく単純な線で描かれる、ごくごくひ弱な存在だ。オトナたちの外見も同じように単純で、主人公は父を見分けることすらできない。一方、背景となる世界は、鮮やかに形を変えながらどこまでも広がっていく。幸せのイメージが炸裂する反面、過酷な労働や戦いがあり、ときに不穏なノイズも混じる。

小さな男の子には、傷つかずに世界を見る才能があるのだろう。いちいち傷ついていたら死んでしまうから、目や耳や肌にリアルに届く感覚以外は、遠く感じるようにできているはず。だが世の中には、小さな男の子にも届いてしまう残酷な音があることがわかる。幸いなことに、この主人公はたいして成長もしないし、絶望もしない。ただ目を見張るだけ。父探しの動機もナイーブなもので、手掛かりは父が吹いてくれたフルートのメロディのみ。そこには、人はやがて強くならなければいけないというメッセージすらない。そのことに、ほっとした。

『光りの墓』(2015)で、現実から遠ざかる方法としての睡眠を映画化したタイのアピチャッポン監督はこう言っていた。
「僕は銃や血の映像で話をしたくありません。恐怖や悲しみが映画を作らせる真の力であったとしても、人間的なユーモアの形で表現をしたいんです」

2016-4-4

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『愛しき人生のつくりかた』ジャン=ポール・ルーヴ(監督)

素直すぎる20代男子の未来は?

昔は上司に「やる気がないなら帰れ」と言われたら、部下は「イヤです」と踏ん張ったものなのに、最近の若者は本当に帰ってしまう。というようなことがネット上で話題になっていた。この映画の中心人物であるフリーターのロマンは、まさに帰ってしまうタイプだと思う。

流れにまかせて素直に行動するが、器用さや強さはない。小説を書いているらしいが、定職も恋人もない。そんなロマンは、ぼんやりした性格が気に入られたのか、ホテルの夜勤のバイトに採用される。ジャン=ポール・ルーヴ監督が演じるホテルの主人は「やる気がないなら帰れ」と鎌をかけるタイプではもちろんなく、勤務中にしばしばボジョレーやムルソーを開け、一緒に飲みたがる男。ロマンがいきなり祖母探しの旅に出たときも「久々に夜勤をやって若返ったよ」と言い、ロマンも「あなたがいるのになぜボクを雇ったんですか?」なんて聞く。つまり、とってもゆるい職場なのだ。

というわけで、ロマンは心置きなく旅をする。パリのモンマルトルから、美しい断崖で知られるノルマンディーのエトルタへ。失踪した祖母は、はたしてどこにいるのか?

憂鬱な顔だとか、自殺しそうだとか、小児性愛者だとか、ロマンが他人に与える第一印象は散々だ。しかしそんな彼が、祖母や父母をはじめとする「複雑な問題を抱えた人生の先輩たち」に光を当てる。未来があり、急いでいないことだけが取り柄の、寡黙なインタビュアーとして。世の中にはきっと、傍観者にしかできないことがある。与えられた使命を果たしたロマンは、ようやく自分自身の幸せの片鱗をつかむのだ。

エトルタへ向かうシーンで流れるのは、ジュリアン・ドレが歌う《Que reste-t-il de nos amours》。あの美しい日々の何が残っているのだろうと、切なく畳みかける歌詞。緻密なリズムを吐息のような囁きで刻む、ナルシスティックなボーカル。スタンダードナンバーのリメイクとは思えない新しさだ。ジュリアン・ドレは、2007年、雑誌ELLEで「最もセクシーな男15人」のトップを飾った1982年生まれの歌手。この曲とコラージュされるいくつもの風景が、映画の要となる。

原作者のダヴィド・フェンキノスは、脚本の共同執筆者でもあるジャン=ポール・ルーヴ監督をこう評価する。「ジャン=ポールには驚くべきユーモアのセンスがあります。どんな状況においても面白い側面を浮かび上がらせることができる人です。喜劇的な視点を強調する会話を見つけようとし、望んだ通りにできるのです。これは演出の問題でもあります」

この才能が、愛しき人生の源だ。「やる気がないなら帰れ」「イヤです」のような優等生の茶番劇ではない。お茶目な会話の端々に意表を突かれ、ふいに遠くへ心をさらわれる。幸せとは、予想外なリアクションの積み重ねであることを確信した。

2016-2-6

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2015年洋画ベスト10

●Mommy(グザヴィエ・ドラン)

●アンジェリカの微笑み(マノエル・ド・オリヴェイラ)

●雪の轍(ビルゲ・ジェイラン)

●ヴィヴィアン・マイヤーを探して(ジョン・マルーフ/チャーリー・シスケル)

●はじまりのうた(ジョン・カーニー)

●ディオールと私(フレデリック・チェン)

●夏をゆく人々(アリーチェ・ロルヴァケル)

●彼は秘密の女ともだち(フランソワ・オゾン)

●さらば、愛の言葉よ(ジャン=リュック・ゴダール)

●ルック・オブ・サイレンス(ジョシュア・オッペンハイマー)

2015-12-31

『あの頃エッフェル塔の下で』アルノー・デプレシャン(監督)

不器用は、男の魅力。

日本語タイトルの感傷的な気分をくつがえす不条理な映画だ。原題は”Trois Souvenirs de ma jeunesse(わが青春の3つの思い出)”。登場人物の生々しい不器用さや、整合性のない唐突なシーンの数々が忘れられない。

現実の人生も同じかもしれない。私たちは、物語をシンプルにまとめるために日常を生きているわけじゃない。現実ではスルーされ、映画ならカットされるであろうノイズこそが、豊かな輝きとして記憶されるのだろう。

外交官で人類学者のポール(マチュー・アマルリック)は外国暮らしが長いが、「潮時かと思って」フランスへ戻ることになり、故郷の町ルーベでの少年時代を思い出す。後半で語られるのは、パリの苦学生だった19歳のときの遠距離恋愛だ。相手は妹の同級生でルーベに住む16歳のエステル。取り巻きの多い「学園の女王」だから、奥手のポールはなかなか近づけない。パーティの翌朝、彼女を家まで送り「命がけで愛されたことは?」「ないわ」「僕はそうする」とようやく口説き落とすものの、その後、別の男にボコボコにされるなど散々だ。

ふたりは情熱的に手紙を書き合うが、遠距離恋愛は難しい。高慢だったエステルが初めての本気の恋に翻弄され、こわれてゆく過程は残酷だ。「愛し合う4年間にエステルは15人、ポールは7人と浮気した」だって。純愛物語の邪魔にしかならない、ありえないナレーションに度肝をぬかれる。そう、これは純愛なんかじゃない。10代の不器用で破滅的な道行きだ。

過ぎし日の恋を回想するだけの映画でもない。パリに戻ってきたポールは、かつてエステルを寝取った旧友の1人に会う。ポールが彼にどんな態度で何を言うか。その後、どんな風景が現れるか。それがこの映画の見どころだ。ちっとも美しい話じゃないけれど、最後まで彼が不器用であったことにほっとする。しかるべき場所に戻れば、愛も悲しみも怒りもそのままなのだ。むきだしの痛々しさは、奇跡を呼び起こすだろう。

少年時代は無謀だ。友情も恋愛も学問も、夢中になればとことん突き詰めてしまい、ときには犯罪にまで手をそめてしまう。人はそれでも大人になり、懐かしい土地へ帰り、何らかの決着をつけようとする。ある意味、貧しかった少年時代以上の無謀さと素直さで!

中年男性も、なかなか素敵じゃないか。
マチュー・アマルリック(50)の演技が、そう思わせる。

日本人男性も負けていない。石田純一(61)は、この映画のトークショーに呼ばれ「恋をすることでもろくなってしまう。そのもろさがすごく切ない。でも僕にとって、それは恋愛をしない理由にはならないですね」と語った。石田純一にとって恋愛とは「不可能を信じること」。10代の頃、11年間同じ人を好きで、結局ふられたという。世間に出ていつか認めてもらいたいと思っていたが、俳優になり、彼女が「もったいないことしたと思った」と言ってくれて、すごくうれしかったのだそうだ。

2015-12-21

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