BOOK

『北のサラムたち』 石丸次郎 / インフォバーン

彼らはどこまで世界を知り、どこまでタブーを破るのか?

サラムとは生身の人々のこと。北朝鮮で使われる無機質な「人民」という呼称の対極にある。
著者は、93年より中国と北朝鮮の国境地帯と日本を行き来し、400人近い北朝鮮難民を取材。支援者から拒否反応が出るほど評判の悪い彼らの言動(嘘つき、せっかち、視野狭窄、媚びへつらい、その場しのぎ、自己中心的、被害者意識過剰、男性は怠け者…など)についても「何が彼らをそうさせたのか」を理解しようとする。

食糧難と圧制に耐えかねて国境の川を命がけで渡り、中国朝鮮族の民家へと駆け込む北朝鮮難民は後をたたず、非法越境分子として人身売買に近い形で中国の農村に嫁ぐ女も多い。しかし、とりあえずの飢えはしのげても、中国語を話せない北朝鮮難民の働き口は限られ、中国当局に見つかれば逮捕・強制送還。彼らを受け入れた民家の負担は大きく、同情も長続きしない。

したがって、中国に脱出した難民たちは3つの選択肢を迫られる。
1北朝鮮へ戻る。(処罰は逃れられない)
2農村で自力で暮らしていく。(逮捕・送還の危険性あり)
3中国からモンゴルなどの第三国に密出国する。(失敗すれば送還され、日本や韓国に行ける保証もない)
この中で注目されるのが3つ目の選択肢。2002年4月から7月にかけて、外国公館(アメリカ、カナダ、ドイツ、韓国、日本総領事館)に駆け込んだ北朝鮮難民は40人を超えたという。

1950年代末から朝鮮総連が繰り広げた「祖国に帰ろう」という帰国運動にのせられ、差別と偏見に満ちた日本を捨て北朝鮮へ渡った元在日朝鮮人二世は言う。「朝鮮に帰国したことは、悔やんでも悔やみきれません。日本のことばかり考えて暮らしてきました」。
「北朝鮮は地上の楽園」という宣伝文句と現実とのギャップは大きく、帰国者たちは資本主義社会から来た異端分子として北朝鮮で新たな差別を受けることになったという。やりくりに行き詰まった彼ら4人家族は、日本の肉親からの最後の援助金(30万円)のほか支援団体と著者の協力を得て、中国からロシア、韓国と奇跡的な脱出に成功。ただし、長女だけは北朝鮮に強制送還されてしまい、行方はわからない。

そんな国の風穴を予感させるのが、著者がしばらく同居生活をしたという2人の難民青年、ドンミョン(仮名)とチョル(仮名)の生き方だ。

ドンミョン「両親は死んだし、妻子は食べ物探しに出ていって行方不明だし、もう北朝鮮には帰る家もない。どうしたらいい、ヒョンニム(兄貴)?」
著者「勉強好きなんだから、これまで北朝鮮で体験してきたことを文章にまとめてみたらどうだ?飢餓の実情を世界に知らせるためにも値打ちがある仕事だぜ。原稿料も稼げるし」

著者の持ち込んだ新聞や本を夢中で読みふけるドンミョンは、やがて300枚の体験記を綴る。その文章は文芸春秋(98年4月号)や韓国のメディアで注目され、彼は北朝鮮で数年間暮らせるほどのギャラを手にした。

チョルのほうは、NGOグループの支援と著者の技術指導により、北朝鮮の子どもたちの秘密撮影を決行。そのインタビュー映像は欧米のメディアにも取り上げられ、優秀な活躍をした報道TVカメラマンに与えられるヨーロッパの「ローリー・ペック賞2001」フィーチャー部門を受賞した。今も中国と北朝鮮を行き来しながら、なんらかの活動に従事しているというチョルの言葉はリアルだ。

「俺は、別に韓国に逃げたいとも思わない。かといって中国で匿れていてもやることもない。男として生まれたんだから、なにかデカいことをやりたいよ。金正日に抗って生きていくのも、値打ちあるよな」

2002-09-20

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『本田靖春集2 ― 私戦/私のなかの朝鮮人』 本田靖春 / 旬報社

差別なんて、いつの話だよ?

9月1日朝5時。仕事を終えて帰ろうとしたら、表参道から青山通りにかけてL字型に長い行列ができていた。
今日はルイ・ヴィトン表参道店のオープンの日だということに間もなく気づく。開店6時間前なのに、行列は数百メートル続いていたのだ。既存の店舗でも、ふだん「1人3個まで」とか店内に書かれているくらいだから、今日は間違いなく「1人1個まで」なんだろうな、と思った。そうでなければ、半日で商品がなくなってしまう!

マーク・ジェイコブズがデザインするルイ・ヴィトンの服は、とても可愛いと思う。が、値段はちっとも可愛くない。たとえば、カシミヤ使いのレインコートが¥298,000というのはわかるにしても、ピーコートが180,000というのはいかがなものか。10分の1以下で本物(軍モノ)が買えるじゃないか。

世界先行発売の時計が目当てなのか、男性の姿も多く「日本人はブランド好き」という月並みな言葉が思い起こされた。だが、並んでいるのは本当に日本人ばかりだろうか? 日本に住んでいるのは日本人だけではないのに「ブランドに群がるのは日本人」と何となく思い込んでしまう。悪い癖だ。

本書は、在日韓国・朝鮮人に対する差別問題と向き合った2編だ。

「私戦」は、1968年冬の「金嬉老(きんきろう)事件」(在日韓国人二世コン・ヒロが、差別発言をした警察への謝罪などを求め寸又峡温泉の旅館に13人を人質に立てこもった事件)を追い「金嬉老事件の重大さは、在日朝鮮人の懸命の訴えを、権力とマスコミが呼応して葬り去り、差別と抑圧の構造を最悪の形で温存することに成功した点にある」と結論づける。

「私のなかの朝鮮人」は、朝鮮で生まれた日本人、つまり、かつての支配者としての植民地二世である著者が、自らの体験をもとに贖罪意識や差別感情の根を掘り起こす。

「”あなた日本語お上手ですね。顔も全然わからない。私は、日本人だとばっかり思っていました”。そういう言い方が、実は朝鮮人に対して、たいへんに失礼だということに日本人は気づいていない。日本人とそっくりの顔をして、日本人と同じに日本語をしゃべるというのは、お世辞のつもりだろうけど、そんな失礼なことはない。いったいそれじゃ、朝鮮人は対等な仲間じゃないとでもいうのだろうか」(「私のなかの朝鮮人」より)

難しいのは、日本人と思われたい人もいるし、思われたくない人もいるという事実だ。帰化した人が同胞から非難されたり、在日の人がソウル生まれの同胞から差別されたりという実例を読むと、「日本人vs在日韓国・朝鮮人」という単純な図式ではとうてい語り得ないことがよくわかる。

著者は、ある一家の歴史を取材し、思い悩んだ上で克明に記す。その悲惨な描写が新たな差別感情を誘発する可能性は大きい。在日韓国・朝鮮人の中にも、このような話が公になることを迷惑だと感じる人もいるだろう。

「私の中の朝鮮人」が書かれてから、既に28年が経過している。当時とは世代が入れ替わり、人々の意識はずいぶん変化したようにも思われるが、本当にそうだろうか。「差別なんて、いつの話だよ?」と笑って済ますことができるのは、国籍を問わず「被害を受けていない人」だけなのだと思う。過去を蒸し返すことを好まないのは、いつだって加害者だ。

コン・ヒロの手帳にはこう記されていた。

「世界の平和!これは何んと素晴らしいことだろう。出来れば俺もその平和の中に住んで見たい。平等で偽りも裏切りも殺し合いもない、真の平和な世界があるならば…。俺はそんな世界がこの地球のどこかにあるように思えるが、悲しい事に、それをまだ見た事がない」(「私戦」より)

2002-09-03

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『本田靖春集1 ― 誘拐/村が消えた』 本田靖春 / 旬報社

被害者は、加害者になっちゃダメ。

8月25日付で発行された「本田靖春集5-不当逮捕/警察回り」をもって、本田靖春集全5巻が完結した。
全集刊行にあたっての「著者からのメッセージ」には、こう書かれている。

「ある時期から私は、『由緒正しい貧乏人』を自称するようになった。それは、権力に阿らず財力にへつらわない、という決意表明であった。いま私は不治の病を三つばかり抱えている。消えてしまった戦後民主主義のあとを追って、間もなく逝くであろう」

逝かないでほしい、と私は思う。不治の病なんて、誰でも三つくらい抱えているものじゃない?本田靖春氏も生まれたばかりの赤ちゃんも私たちも、いくつかの不治の病を抱えながら等しく現在を生きているのだ。そんなふうに勝手に思っていたい。病床の著者は今「我、拗(す)ね者として生涯を閉ず」という自伝的ノンフィクションを月刊現代に連載している。

本書には、1963年の「吉展ちゃん誘拐事件」を丹念に取材した「誘拐」(文芸春秋読者賞・講談社出版文化賞受賞)と、国の開発構想に翻弄され続ける六ヶ所村むつ小川原地区の歴史をあぶり出した「村が消えた」の2編が収録されている。どちらの作品も、関係者一人ひとりの個人的な背景に寄り添うことで、事件にトータルに迫っている。

「事件にトータルに迫る、と口ではいっても、取材の行く手に待ち受ける障碍はそれこそ数限りなく、逃げ出したい気持に襲われることもしばしばであったが、その姿勢だけは辛うじて貫いたつもりである。事実とのあいだの緊張関係を保ち続けるのは息苦しい。しかし、それなくしてノンフィクションは成立し得ないからである」
(「誘拐」文庫版のためのあとがきより)

「誘拐」を読むと、吉展ちゃんを殺した小原保もまた被害者であることがわかる。被害の根源は、彼の生まれた土地であり、環境であり、血であり、病いであり、不運であり、お金であり、弱さでもある。つきつめていえば、最後の「弱さ」のみが原因だと断言できそうだが、著者はそんな彼に同情するでもなく、糾弾するでもなく、公平な視点で事実を掘り起こし積み重ねてゆく。

吉展ちゃんは殺害され、小原保は死刑になった。殺人にも死刑にも、救いはない。唯一の救いがあるとすれば、それは吉展ちゃんの遺族の理解である。「誘拐」を原作とするテレビ番組が放映されたあと、それまで何かとマスコミ不信を口にしていた吉展ちゃんの遺族が「私たちは被害者の憎しみでしか事件を見てこなかったが、これで犯人の側にもかわいそうな事情があったことを理解出来た」という趣旨の感想を述べたという。彼らは、一方的な被害者意識を軽減することができたのだろう。

被害者意識からは、恨みや報復しか生まれない。小原保を誘拐殺人鬼へと駆り立てた元凶も、被害者意識だったのではなかったか。切羽詰った被害者意識は、一発大逆転への暗い希望へとつながる。「かわいそうな事情」を抱える人間ほど、加害者へと豹変する可能性を秘めているのだ。 そんなネガティブな連鎖の構造を断ち切ることがノンフィクションの役割なのかもしれない。

新聞紙面を眺めれば、相も変わらず殺人、虐待、横領、隠蔽の日々。どんな事件の背景にも、必ず何らかの「かわいそうな事情」があるはずとは思うものの、私たちが学ぶべきは、非常事態の中で志を高く持ち続けるにはどうすればいいか、金や権力の有無といった瑣末な状況に左右されない不変の境地を獲得するにはどうすればいいかということである。

本田靖春氏は「由緒正しい貧乏人を自称する」という答えを出した。
自らの出自に誇りを持ち、きちんとものを言いながら生きていくことだと思う。

2002-08-27

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『ベルナのしっぽ』 郡司ななえ / 角川文庫

超能力で、子供を育てる。

ベーチェット病により27歳で失明した著者は、白い杖を使う一人歩行には自信がもてなかったものの、ひそかに大きな夢を抱いていた。

「それはお母さんになりたいということでした。あるとき、夫の幸治さんに話してみました。幸治さんも、三歳のときに失明した視覚障害者です。『それはいい。ぼくたちに子供ができるなんて、すてきだ!』答える声もはずみます。そして夢は、私たち二人のものになりました」

そ、そんな簡単なことなの!? これはもう、おとぎ話の世界である。著者は、目の見えるお母さんのように子育てをしたいという一心で、大の「犬嫌い」にもかかわらず、盲導犬の力を借りようと決意。アイメイト協会で黒のラブラドール種のメス、ベルナと出会い、一緒に厳しい訓練を受け、一緒に子育てをスタートするのだ。

ものすごくシンプルである。前向きである。生きていく上でのさまざまな困難を、私たちはどんなふうに克服していけばいいのだろうか?などという問いを、この本はことごとく無効にしてしまう。だって、答えはひとつ。できることをやればいいってことなのだから。おとぎ話に、悩みや逡巡は不要なのです。

著者が語るのは、目の見えない生活の苦労ではなく、子育ての苦労でもない。ただ、ひたすらベルナのこと。視線を自在に移動し、しばしばベルナの視点から自分や家族の姿を描いてみせる。著者はなぜ、これほどまでにベルナを愛し、ベルナの目になりきることができたのか? その理由は、たぶん、犬嫌いだったから。出会ったときの抵抗感が大きいほど、つきあっていくプロセスの中で価値観を揺さぶられるほど、相手に対する愛と信頼は大きくなる。一目ぼれの恋愛が、意外と長続きしないことが多いのとは対照的に。

盲導犬とは、盲人を助ける犬のことで、盲導犬を飼うとは、犬に助けられて生きることなのだと思っていた。だが、本書を読むと、盲導犬を飼うとは、実は犬と助け合って生きることなのだとわかる。著者は、毎日のベルナの世話はもちろん、老いたベルナが白内障を患い階段の昇り降りも困難になったとき「最悪の場合自分が抱きかかえるのを覚悟で」ベルナと外出する。つまり、通常の盲導犬として役立たなくなった後もベルナを手放すことなく最期まで面倒をみるのだが、なぜそんなことができたかというと、ベルナのおかげで著者の息子、幹太が立派に育ち、そのころには幹太の目が著者をサポートしてくれるようになったからだ。

見るという行為全体の中で、目が果たす役割は意外と小さいのではないか、と私は思う。著者が決して見ることができなかったはずのベルナの姿を、私たちはリアルに思い描くことができる。人は、たとえ視力を失っても、他人に美しい夢を見せることはできるのだ。

幹太は小学校1年生のとき、クラスの友達や先生の前で「お母さんはボクのことを心の目で育ててくれました」と話したという。彼はその後、どんなふうに成長したのだろう?と勝手に思いをめぐらせていたら、角川書店のホームページに幹太へのインタビューが掲載されていた。

現在の幹太は21歳のジャニーズ系ボーイ。彼は当時、自分の母親の能力を「超能力かなんかの一種」だと思い込んでおり、皆に自慢するつもりで「心の目」という表現をしたということだった。

2002-08-08

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DREAM―RUMIKO流 夢の持ち方、叶え方』 RUMIKO / マガジンハウス

くちびるに刻印されたシミュレーショニズム。

「恐れることはない。とにかく『盗め』。世界はそれを手当り次第にサンプリングし、ずたずたにカットアップし、飽くことなくリミックスするために転がっている素材のようなものだ」
(椹木野衣「シミュレーショニズム」洋泉社1991)

そんな時代から10年以上が経過した今も、サンプリングやカットアップやリミックス、あるいは盗作やコピーやまねっこは、ますます加速しているように見える。そこには歴史的な概念がなく「もと」をたどることに意味がない。ピカビア横尾忠則は同列で、ビートルズ奥田民夫も同列なのだ。

先日、代官山の某ショップに「穴空き部分とヒップポケット部分にヴィトンのモノグラムがついたusedのリーバイス501」があるという情報を得た。浜崎あゆみがデニム持込でオーダーしたものと同デザインで、グッチバージョンもあるという。これって一体何なのか? 「リーバイス」「リーバイス501をusedにした人」「ルイヴィトン」「浜崎あゆみ」「ショップのデザイナー」の5者コラボレーション作品?

7月16日付けの「i-critique」で浅田彰は、江國香織が「心に響いたこの1行」(週刊新潮7/18号)でモームの「お菓子と麦酒」(新潮文庫)を引用したことについて書いていた。浅田彰は、江國香織のフランス語のルビの間違いとともに、その1行が実はマラルメの有名なソネットの出だしの1行であることを指摘。「少なくともこれがマラルメの引用であることぐらいは知っていないと、そもそもモームの意図の理解さえおぼつかないだろう。その程度の初歩的な知識もない人間、あえて反時代的なポーズとしてモームの古臭い小説を取り上げるというより、その『小説の力』に素直に感動してしまうような人間が、『作家』として通用してしまい、その文章が、センター試験の国語の問題に出てしまう。現在のわれわれの文化は、そんな末期的状況にあるのだ」と結んでいる。

モームがマラルメを引用し、それを江國香織が「モームのオリジナル文」として紹介する。
あゆがリーバイスとヴィトンを引用し、それをショップが「あゆデザイン」として売る。
この2つ、似てない? 現代は、フットワークの軽いDJがアーティストと呼ばれる時代なのである。

さて、RUMIKOは、化粧品業界のDJというべきメイクアップ アーティストだ。彼女のオリジナルブランド「RMK」は、世界の化粧品のリミックスであるように見える。そして、そのことが、女の子の気持ちをぐっとつかむ。モデル撮影に立ち会う時など、ヘアメイクの人のメイクボックスを覗くと、RMKの化粧品が入っている率は相当高い。

NYでいかに自分を売り込んだか、どんなカメラマンと仕事をしてきたかという話よりも、彼女が高校時代、ツイギーの仮装をするために、つけまつ毛を手作りしたという話が印象的だ。メイクアップアドバイスのページも、身近なお姉さんの提案のようなときめきがある。料理のレシピでいえば「今日つくってみよう」と思わせてしまうセンス。

本書の初版本(¥1,300)には「限定リップグロス交換券」がついている。RMKのショップで私にそれを手渡してくれたスタッフは、とても嬉しそうで、私はRUMIKOファンから贈り物を受け取った気分になった。

リップグロスの容器には「Kiss」とあるのみでRMKのロゴがない。もしもこれがシャネルの限定リップグロスなら、シャネルのロゴは不可欠なはずで、少なくともロゴがなければファンは納得しないだろう。私は、唇の形にデザインされたリップグロスを自分の唇にコピーしながら、RUMIKOはやはりDJなのだ、と思った。

2002-07-22

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