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『ローリング・ストーンズ JAPAN TOUR 2003』 THE ROLLING STONES /

真横から目撃した奇跡。

ストーンズの日本公演に関する記事をいくつか読んだけれど、ふーんという感じだった。だが、3月13日の日経新聞夕刊に掲載されていた渋谷陽一のライブレポートは違った。それまで私が読んだ記事には「何も書かれていなかったんだ」と気がついた。

10日の武道館ライブについてのそのレポートを14日夜に読み、いてもたってもいられなくなった私は、15日夜、翌日の東京ドーム公演のチケットを買った。ストーンズのライブに行くのは二度めだし、ロン・ウッドチャーリー・ワッツはソロで来日したときも見に行ったが、いずれも10年くらい前のことだ。

渋谷陽一はこう書いていた。
「一九九〇年の初来日の時、複数のキーボードで厚く装飾された音に守られて演奏するストーンズに本来のロックらしいグルーヴ(ノリ)は感じられなかった。あのストーンズでさえ、こうして衰弱していくのか、と悲しかったことを覚えている。それから彼らは今回を含め四回来日しているのだが、年々サウンドはシェイプアップされ、グルーヴを増してきた。平均年齢が六十歳になろうとするバンドが年々成長し、グルーヴが若々しくなっていくのだ。あり得ないことだし、ほとんど奇跡といっていい」

私は、ステージの真横に設置された「最後のS席」から「あり得ない奇跡」を目の当たりにした。

1曲目の「ブラウン・シュガー」からアンコールの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」まで、セットも音も構成もタイトだった。ミック・ジャガーのスレンダーなボディ、腕を前に突き出す独特のポーズ、張りのあるヴォーカル、エネルギッシュな動き、「みんな、どお?」といった日本語に、私は釘付けになった。スプリングコート風のロングジャケットやブライトカラーのシャツやノースリーブのインを自然に脱いだり着たりした。最後はピンクのシャツだ。こんなにシンプルでセンスのいい服を、女の子のようにさらっと着こなし「まねしたい」と思わせてしまう59歳の男が一体どこに?写真や映像で見るよりも、そして10年前よりも、彼は明らかにチャーミングだった。

チャーリー・ワッツのパワーも相当なものだったし、ロン・ウッドは相変わらず少年のように飄々と楽しんでいた。キース・リチャーズのソロは声もかすれており、ギターも最初と要所だけ弾くといった感じだったが、エモーションの伝わり方はただごとではなかった。彼が最前列のファンに近づき、ひざまずいて声援にこたえる姿を見ているだけで、どきどきしてしまう。

正面のスクリーンもまともに見えない位置だったから、生身の彼らを見るしかないし、音だってスピーカーの後ろから聴いているようなものだ。おかげで、ステージの前後の広がりやメンバーたちの「無意識」をバックステージから眺めるような面白さがあった。

私はその夜、1968年にゴダールが撮った「ワン・プラス・ワン(sympathy for the devil )」のビデオを見直してみた。「悪魔を憐れむ歌」ができあがっていくレコーディングのプロセスと、当時の政治状況を彷彿とさせる革命劇を1+1として編集した奇跡的な映画だ。当時の服、クルマ、スタジオのインテリア…すべてが鮮やかな色調で、今見ると「おしゃれでかっこいい映画」としか思えない。

そこには、20代のミックとキースとチャーリーが映っていた。スタジオ風景のほとんどが1シーン1カットで撮られているためか、彼らはカメラを意識しているようには見えず、ごく自然に音合わせをしている。「今日の彼らとほとんど同じじゃん!」と私は思った。

*JAPAN TOUR 2003/3月21日まで

2003-03-18

amazon(GRRRライヴ!)

『VOGUE写真展』 ヴォーグ ニッポン / 日経コンデナスト

企画力は、不況をふきとばす。

かつてブルータスを「広告のとれる雑誌」に生まれ変わらせたカリスマ編集長、斉藤和弘。彼は昨年、VOGUEの日本版「VOGUE NIPPON」を発行する日経コンデナストの社長に抜擢され、編集長を兼任している。

VOGUEは1892年アメリカで創刊され、「VOGUE NIPPON」は1999年、世界で12番目のVOGUEとして日本で創刊された。だが当初は「いつ休刊になるか」と囁かれ続け、活気が出てきたのは斉藤氏が編集長になってから。今では欧米のプレステージブランドの広告が似合う「唯一のコンサバでないモード雑誌」になった。

プレステージブランドは、広告の媒体を選ぶとき、ブランドイメージにそぐわない雑誌を排除する。記事を書きたいといっても撮影商品を貸し出さないし、取材にも応じない。もちろんプレス発表会に招待するはずもない。だから、多くの雑誌では、仕方なく読者や編集部員の私物を撮影する。イメージの上に立脚するブランドは、イメージが壊れたらおしまいなのだから、媒体選びにこそ細心の注意を払わねばならないのだ。

だからといって、ブランドを無条件に礼讃し「広告」と「広告のような記事」しか載せない「コンサバなプレステージ雑誌」なんて、つまらない! その点「VOGUE NIPPON」は、雑誌自体をブランド化することに成功したと思う。つまり、ブランドの広報担当者が積極的に新製品を売り込み、タイアップを申し込みたくなるような斬新な視点をもつ雑誌づくりを、ユニークな企画力で実現した。

今回の写真展は、そのことを証明している。展示の内容は、US VOGUEやUK VOGUEに掲載された1930年代から最近の写真まで50点ほど。銀座に店を構える7ブランド(バーバリー、ブルガリ、カルティエ、ハリー・ウィンストン、エルメスルイ・ヴィトンティファニー)の伝説的な写真である。1つの雑誌が7社を束ね、銀座という街と提携し、こんな写真展をさらっと企画しちゃうなんて面白いし、すごいことだ。

展示会場となったシャネル銀座ビルは、シャネルの日本法人がダイエーから64億円で買い上げたといわれるビルだ。赤い布でおおわれた特設会場には軽快なラウンジ系ミュージックが流れ、ホルスト、バート・スターン、アーサー・エルゴート、エレン・フォン・アンワースセシル・ビートン、シュタイケンなどの写真が年代もブランドもばらばらに並んでいる。まず写真を見て、ワインのブラインドテイスティングみたいに、年代とブランドとカメラマンを想像したりするのも楽しい。とりわけアーヴィング・ペンの古い写真の新しさといったら!

階段を昇るとシャンパーニュまたはソフトドリンクのサービスを受けることができる。ソファでくつろぎ、あるいは階下の展示を見下ろしながら喉をうるおせるのだ。シャンパーニュの銘柄は、モエ・ヘネシー・ルイヴィトングループのモエ・エ・シャンドンで、今月号の誌面にちゃんとタイアップ記事がある。

これは、マスコミ向けの発表会や内輪の展示会ではない。誰でも無料で入れる写真展である。最近、ワインをサービスしてくれるブランド店も多いようだが、この会場では何も売っていない。完全な読者サービスなのだ。

「美術展はキュレーターがアーティストとコラボレートする時代」(by中原祐介)になってきたと聞くけれど、キュレーターとしてのVOGUE NIPPONの手腕は鮮やかで、今後のコラボレーションからも目が離せない。

*シャネル銀座ビル(銀座中央通り・松屋向かい)にて10月27日まで開催
*VOGUE NIPPON 11月号に 15点掲載

2002-10-27

『ヴォヤージュ』 ダムタイプ / NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)

高層ビルからガード下へ。

エレクトロニック・ミュージックの最先鋭と評され、ダムタイプの音響ディレクターでもある池田亮司の新作「db」を体験した。

無響室における3分間の音楽体感である。番号札をもらい順番を待つ間、広々とした会場で他の展示や過去のパフォーマンスのビデオ上映を自由に見ることができるし、階下のロビーでお茶を飲んでいても現在の番号がモニターに表示されるから安心。大病院で診察を待っているような気分だ。

時間がくると、待合室のような場所で心臓が弱い人に対する注意事項などを読まされ、荷物を預け、スリッパに履き替え、緊急時に係員を呼ぶための非常ボタンを腕に巻き、個室に入る。中央の椅子にすわり、扉が閉められると何も見えなくなり、やがて「音楽」が始まる。

ちりちりと燃えるようなホワイトノイズ、聴覚検査のような信号音、高まる動悸のようなビートとボディソニック。目が慣れる気配すらない完全な闇の中で、コンピュータ処理された「テクノミニマル・ミュージック」(by浅田彰)とアナログな「自分の体内」だけが対峙する。

まじで恐いってば! それなのに、これは私たちの「生活音」そのものなのだと感じた。自分の周囲にあふれる音と自分の中に流れるリズムの研ぎ澄まされた先端。現実逃避のための音ではなく、現実と向き合うための音。ヒーリングミュージックに対する見事なアンチテーゼである。
3分後、真っ暗な無響室から真っ白な光のギャラリーへ。ここまでがワンセットなのだ。まさに拷問!

そんな緊張をチルアウトしてくれるのが、ダムタイプの新作インスタレーション「ヴォヤージュ」である。無響室ほどではないが、エントランスは真っ暗。だだっ広いスペースに足を踏み入れると、赤いレーザービームがウエストを包囲する。人が皆、赤いベルトをまとったように見えるしくみだ。こうして観客も作品の一部となる。

床に置かれた歩道のような装置に映像が流れ、その上を自由に歩くことができる。小さな円形の航空ナビゲーションが2つ、細胞分裂のようにゆっくりと離れたりくっついたりする間に、建物、人、砂、道路、枯れ葉などがきらきらと歩行のスピードで流れてゆく。映画や旅を思わせる美しさで、離れがたい。

だが、これも現実なのだ。「ヴォヤージュ」についてダムタイプの高谷史郎は言う。
「 “新しい海”が目の前に開けているというのではなく、今までと変わりない海が、その見る者の受け取り方次第で、新しく見えてくるのではと考えています」
自分が立っている場所というのは重要だ。旅はいつも、自分の足元にあるのだろう。

会場を出ても「db」や「ヴォヤージュ」は終わらない。東京オペラシティタワーのエスカレーターやエレベーターは、インスタレーションの続きにしか思えないのだ。

ビジネスとかケアとかコミュニケーションとか、そういう無機質な言葉が似合う建物だ。回転ドアを押して外へ出て初めて、私たちは高層ビル的な現実から逃れ、地面に足をつけ、自分のヴォヤージュを始めることができる。

私の気持ちは、ガード下的な現実へ向かう。明け方までにぎわう裏渋谷のカフェやクラブでは、トランス&チルアウトが、音楽や飲食や会話を通じてごく自然におこなわれているのだから。 1年前は、渋谷川に沿ってカッティングエッジなエリアが生まれるなんて思いもしなかったけれど、高層ビル的な現実に疲れたら、逃げ場はガート下にしかないのかも!

*ICCにて10月27日まで開催中

2002-10-24

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『孤高』 フィリップ・ガレル(監督) /

女の顔は、30代で差が出るみたい。

音のないモノクロフィルム。客席は水を打ったように静か。
「お腹が鳴ってしまったらどうしよう」などと心配しながら見るレイトショーは苦痛。食事をしてから見ればよかったなと後悔したけれど、こんな映画、食後に見たら80分間熟睡してしまう!

タイトルもクレジットもない。これは、フィリップ・ガレルのプライベートフィルム(1974年)なのだ。映っているものの殆どは、2人の女優ニコとジーン・セバーグの表情のアップ。「裸体よりも顔のほうが裸だ」というようなことを以前アラーキーは言っていたが、まさに顔フェチの映画。人の顔だけをこんなに凝視してもいいものだろうか?と不安になるくらいに。

2人の女優と監督の関係とか、ジーン・セバーグを取り巻く政治的状況とか、背景はいろいろあるようだけど、ひとまず、ストーリーはないといっていい。注目すべきは、2人の女優が同い年だという事実で、2人とも30代半ばである。30代半ば? うっそー! ジーン・セバーグ、かなり老けている。それに比べてニコ、かなり若い。実際、ジーン・セバーグは5年後に亡くなるのだが・・・。

フィリップ・ガレルは、10年間ニコと暮らす中で、彼女の出演する映画を7本撮り、すべて商業的には失敗したという。そんな映画が今、日本で上映されるって不思議。

ジーン・セバーグが自殺をはかろうとするシーンで目が覚めた。映像で目が覚めるなんて、面白い。無音の映画のよさは、映像に集中できること。セリフがあれば字幕がほしくなるし、字幕があれば、いろんなことが気になって、映像の何割かは見逃してしまうことになるから。

したがって「無音の映画体験は貴重だし、発見がある」というふうにもいえるのだけど、個人的には、7月10日に発売された「ヴェルヴェット アンダーグラウンド&ニコ」のデラックス・エディション アルバムをずっと流してくれたら、どんなに素敵な時間になったことだろう!と思った。ついでにシャンパン&カシューナッツ付きっていうのはどう?「ニコとジーン・セバーグとシャンパンの夕べ」。これで¥2500だったら、私は行く。

今はなき渋谷の五島プラネタリウムでは、週末だけ、解説を少なくして星空と音楽を心ゆくまで堪能させてくれる「星と音楽の夕べ」というのをやっていた。映画館にも、そんなスペシャルな夕べがほしい。

*渋谷シネ・アミューズでレイトショー上映中

2002-07-14

amazon(パンフレット)

『カールステン・ニコライ展―平行線は無限のかなたで交わる』ワタリウム美術館 /

雪印より美しい、偶然の結晶。

「平行線は無限遠点で交わる」といえば、地球上の経線が極点で交わるという非ユークリッド幾何学の話。

「無限遠点」を「かなた」という一般的な言葉に翻訳するのがコピーライターの仕事だと思う。
「平行線は無限のかなたで交わる」と題されたドイツのメディア・アーティスト、カールステン・ニコライによる展示は、無と有、音と映像、サイエンスとアートなど、異質の概念が出会うピュアな瞬間を私たちに体験させてくれる。

人工雪をつくり結晶を観察する装置「スノウ・ノイズ」が印象的。大きな試験管をボックスに差し込み、ひたすら待つ。15分で結晶が見え始めるとあったが、忍耐力のない私は、カフェのあるB1のオンサンデーズに降りていった。実験室における15分後は、私にとっては無限のかなたなのだ。

30分後に戻ると小さな結晶ができていた。隣の試験管の堂々たる結晶に比べるとひ弱だが、生まれたての雪はたぶん、生まれたてというだけで美しい。しかも、見たことのない形だ。私は偶然の産物である、この不完全な形を忘れない。

カールステン・ニコライは、雪博士といわれた物理学者、中谷宇吉郎(1900-1962)の本にインスパイアされ、この作品をつくったという。中谷宇吉郎は、世界で初めて人工的に雪の結晶をつくった人。1938年に刊行された「雪」には、「針状結晶」「雲粒付結晶」「無定形」など詳細な分類図がある。雪の結晶とは、雪印マークのような「立体六花型」だけではないのだ。

「(十勝岳では)これほど美しいものが文字通り無数にあってしかも殆ど誰の目にも止らずに消えてゆくのが勿体ないような気が始終していた。そして実験室の中で何時でもこのような結晶が自由に出来たなら、雪の成因の研究などという問題をはなれても随分楽しいものであろうと考えていた」(中谷宇吉郎「雪」岩波文庫)

中谷宇吉郎の研究の引き金となったのは、雪の写真家として知られるW・A・ベントレー(1865-1931)の写真集「snow crystals」(1931)である。雪の結晶の古典というべき本だが、3000枚の結晶写真をぼーっと眺めるだけで圧倒される。最後のほうに不完全な結晶たちが集められており、その部分がやはり、いい。

カールステン・ニコライ展では、雲の写真も美しい。ドイツからイタリアに向かう飛行機から撮ったその写真を彼自身は「石庭のよう」と表現する。雲もまた偶然の産物なのだ。美しい形は、世界中で絶えず生まれては消えてゆく。これほどポジティブでシンプルでピュアな、世界の切り取り方があるだろうか?

音の実験室といわれる彼のライブ&DJにも行ってみた。ふだんは洋書店&カフェであるオンサンデーズのB1フロアが、水曜の夜にはクラブになるのだ。吹き抜け構造と書棚のおかげで音がいいし、彼が主宰するレーベル「ラスター・ノートン」のCDも揃っている。

青山や渋谷では今、セレクトショップ+カフェレストラン+DJといったスタイルが流行しており、おしゃれ系の店には、必ずターンテーブルとDJブースがある。1990年マリオ・ボッタによって建てられたワタリウム美術館は、そんな現在形の街のスタイルになじんでおり、大勢の客を動員するには非効率だが、今回の企画展には、まさにふさわしい。非効率だからこそ、ここには、いつか交わりそうな偶然が満ちている。

「偶然をコントロールしようとする試みは必ず失敗するだろう」とカールステン・ニコライは言う。世の中は、人知や計算で制御できないことだらけなのだから、無理にあがくことはないし、悲観することもない。
だって、平行線はいつか必ず交わるのだから。

(9月6日まで)

2002-06-12